2011年に放送されたNHK連続テレビ小説(朝ドラ)の「カーネーション」の再放送が始まり、また話題になっています。
朝ドラ「カーネーション」のヒロインは、尾野真千子さん演じる小原糸子。
その小原糸子のモデルとなったのは、あの有名なデザイナーコシノ三姉妹の母である小篠綾子(こしの・あやこ)さんです。
小篠綾子さんとはどのような人物で、どのような人生を送ったのでしょうか?wiki経歴プロフィールをまとめました。
【朝ドラ】カーネーションのモデル!小篠綾子のwiki経歴プロフ
名前:小篠綾子(こしの・あやこ)
生年月日:1913年(大正2)6月15日
没年月日:2006年(平成18)3月26日(享年92歳)
出生地:兵庫県加西郡西在田村
出身地:大阪府泉南郡岸和田町
学歴:大阪府立岸和田高等女学校(現・大阪府立和泉高等学校)
幼少期:原点のだんじり
小原糸子のモデルとなっている小篠綾子さんは、大正2年、呉服店を営む父・小篠甚作と、資産家の娘だった母・ハナの間に生まれました。
出生地は、兵庫県加西郡西在田村若井(現・加西市若井町)ですが、3歳頃に大阪府泉南郡岸和田町(現・岸和田市)に移りました。
当時の岸和田は紡績などの「糸」に関わる産業で栄えていたこともあって、母方の祖母によって「一生糸に係って食べていけるように」と念じてつけてくれた名前が「綾子」なのだそう。
そのため、「私は生まれながらにして“糸へん”に生きるように運命づけられてきた女」というのが綾子さんの口癖だったそうです。
岸和田では300年続く歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」と共に育った綾子さん。
遊び相手は男の子ばかりで、負けん気が強くおてんばだった綾子さんは、豪快でダイナミックなだんじりが大好きで、毎年楽しみにしていました。
岸和田の人々にとってはだんじりは誇りでもあります。綾子さんも「だんじり命」。
綾子さんは、大人になり娘たちが生まれ、そして晩年も、年に一度のだんじりのためにその一年を過ごしていたと言っても過言ではなかったそうです。
青年期:女学校中退、そして開業へ
綾子さんは、大阪府立岸和田高等女学校(現・大阪府立和泉高等学校)へ通っていました。
当時は洋服を着ている人はほとんどいない中で、神戸の資産家だった祖父母の家で、洋服を見る機会に恵まれていた綾子さん。
おてんばで男の子と遊んでいるような少女でしたが、それでもお裁縫だけは大好きで、布団の裏地に使う布地を使って自分のワンピースを仕立てたりしていたそう。
そんな15歳のある日、女学校の帰り道にパッチ店で見た「ミシン」に魅せられたことで人生が変わります。
父親から家業の呉服の仕事を仕込まれてはいましたが、ミシンに魅せられてしまった綾子さんは父を説得し、女学校を中退してパッチ店、紳士服店、セーラー服店、生地店で洋裁の修業を積みます。
そして綾子さんの情熱と商才を見抜いていた父の甚作さんは、ミシンをこっそり購入し、和歌山のミシンの講師に「謡」を教えるかわりに、綾子さんにミシンを教える交渉までしていました。
開業当時はミシン一台。営業の才もあった綾子さんは、町中をまわり縫う物があれば何でも引き受け、徹夜で仕事に励んだのだとか。
青年期:結婚・出産、戦争
そして1935年11月、綾子さんが22歳の時、ひとつ年上の紳士服テーラーの川崎武一さんと結婚。
綾子さんに惚れていたという川崎武一さんは、長男なのにわざわざ養子に来たいとまで言ってくれていました。
仕事に夢中で渋っていた綾子さんでしたが、押し切られた形でした。
その後、
- 1937年、長女・弘子
- 1939年、次女・順子
- 1942年、三女・美智子
の3人の娘が誕生しました。
1942年、三女の美智子さんを身籠っていた時に、夫・武一さんは出征。1945年に中部支那方面で戦病死してしまいます。
しかも武一さんが芸者と浮気していたことが発覚。仕事に夢中になりすぎていたのが悪いと父親にも責められて綾子さんはショックを受けます。
しかし、責める相手ももうおらず、娘3人を抱えて戦中・戦後を生き抜くのでした。
晩年:第二の人生
仕事ひとすじに生きてきた綾子さんですが、妻子ある男性(Tさん)と不倫の恋に落ちます。
周囲に責められることもあったようですが、しかし娘たちはTさんを「おっちゃん」と呼んで慕い、母が幸せであるならそれで良いと思っていたようです。
実際には夫である武一さんとは数年の縁であり、不倫相手のTさんの方を“本当の夫のようだった”と、綾子さん自身も考えていたのだとか。
Tさんはその後、ガンを患い亡くなります。
コシノ洋装店は、その間もずっと順調であり、常に仕事を中心に駆け抜けていた綾子さん。
母の背中を見て育った3人の娘はデザイナーとなり、世界的に成功。
娘の躍進に闘志を燃やした綾子さんは、1988年、74歳の時に「コシノアヤコ」ブランドを立ち上げます。
綾子さんに「引退」という言葉はなく終生現役をつらぬき、2006年、脳梗塞で92歳で亡くなるまで、綾子さんの原点でもある「だんじり」のように生涯を全力で駆け抜けた人生なのでした。
没後:朝ドラや映画に
綾子さんの没後の2011年、尾野真千子さんをヒロインに迎え、“小篠綾子”をモデルとしたドラマ、朝の連続テレビ小説「カーネーション」がスタート。
「カーネーション」は朝ドラ史上最高傑作とも言われ、大人気ドラマとなりました。
また、2025年初夏には「ゴッドマザー~コシノアヤコの生涯~」が公開予定。
こちらは、大地真央さんを主演に迎え、
- コシノアヤコ…大地真央
- コシノヒロコ…黒谷友香
- コシノジュンコ…鈴木砂羽
- コシノミチコ…水上京香
- 綾子の⽗・甚作…⽊村祐⼀
というキャストとなっています。
現在、小篠綾子さんが生涯を過ごした生家を「おばんざい アヤコ食堂」として、1階は食堂として営業し、2階は記念館としてコシノファミリーに関する展示がなされています。
おばんざい アヤコ食堂
岸和田市五軒屋町16-11
11:30~15:00(14:30ラストオーダー)
休日・休館日:日曜日及び岸和田祭前日~終了後翌日迄
南海本線「岸和田駅」下車徒歩約5分
小篠綾子の娘たちコシノ三姉妹
小篠綾子さんの3人の娘さんたちは、全員がデザイナーの道へ進み、成功を収めました。
長女:コシノヒロコ
名前:小篠弘子
生年月日:1937年1月15日(87歳 2024年時点)
学歴:大阪府立岸和田高等学校
文化服装学院
幼少期は絵を描くことが好きで、高校時代は美術部で絵画を学びました。
美大進学を希望するも母の綾子さんは反対。実は美大に入ることに反対していたのではなく、貧乏絵描きになることに反対していたのです。
洋裁のことは嫌いだった弘子さんですが、絵というものが生かせるファッションの世界に行こうと思いたち、文化服装学院へ進学しました。
主な経歴
1964年:大阪・心斎橋にオートクチュール(高級仕立て服)・アトリエを開設
1978年:ローマの「アルタ・モーダ」に日本人初出展
1982〜1993年:パリ・コレクションに参加
2012年:銀座に旗艦店の「ヒロココシノ銀座店」、アート作品展示館の「KHギャラリー」をオープン
絵画、書など現代アート作品の個展も国内外で開催
次女:コシノジュンコ
本名:鈴木順子
生年月日:1939年8月25日(85歳 2024時点)
学歴:大阪府立岸和田高等学校
文化服装学院
姉の弘子さんと同じ進路を進み、文化服装学院在学中の1960年、新人デザイナーの登龍門といわれる「装苑賞」を最年少の19歳で受賞しました。
姉とは幼い頃からライバルで、ことあるごとにケンカして対抗心を燃やしていた2人でしたが、「銀座小松ストアー(現・ギンザコマツ)」での出店の仕事を共に東京でやることになります。
主な経歴
1978年:パリ・コレクションに初参加
1985年:北京で中国最大のファッションショーを開催
1990年:ベトナムで日本人初のショーを開催
1996年:キューバで外国人デザイナーとしては世界初のショーを開催
2009年:ミャンマーで著名外国人デザイナーによる初めてのファッションショーを開催
三女:コシノミチコ
名前:小篠美智子
生年月日:1943年1月29日(81歳 2024年時点)
学歴:大阪府立和泉高等学校
神戸松蔭女子学院短期大学服飾科
英国立UCA芸術大学( University college for the Creative Art)名誉修士号
運動神経抜群で、ソフトテニス選手として活動。大学時代は全国大会で優勝するほどの実力でしたが、突然服飾の道へ進むと決め、家族を驚かせます。
1973年にイギリスへ渡り、ロンドンを拠点に活動。ブランド「ミチコロンドン」を設立して大成功をおさめます。
主な経歴:
1976年:ミチコ・カンパニーを設立
1978年:ロンドン及び日本でファッションショー開催
1983年:空気で膨らませる「インフレータブル」シリーズを発表
1986年:株式会社ミチココシノジャパン設立。ブランド「ミチコ ロンドン コシノ」をスタート
1988年:ソウルオリンピック記念に韓国縦断ファッションショーツアー開催
1992年:世界初デザイナープロデュースコンドームを「MICHIKO LONDON KOSHINO」で発売
まとめ【朝ドラ】カーネーションのモデル!小篠綾子のwiki経歴プロフ
朝ドラの小原糸子のモデル、小篠綾子さんについてwiki経歴プロフィールをまとめました。
最期まで現役を貫き、原点でもある「だんじり」のように力強く駆け抜けた生涯でした。
晩年も「さあ、人生これからやで!」というのが口癖だったといいます。
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