【べらぼう】花の井(五代目瀬川)のwiki経歴プロフ!蔦重とは本当に幼馴染?

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2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」は、江戸のメディア王・蔦屋重三郎の生涯を描いたドラマ。

蔦屋重三郎役に主演・横浜流星さんを迎え、その幼馴染の花の井の役を小柴風花さんが演じます。

花の井は伝説の女郎「五代目瀬川」をモデルとしてして描かれ、瀬川という遊女は実在した人物。

その五代目瀬川とは、どんな人物だったのでしょうか?また、蔦屋重三郎とは本当に幼馴染だったのでしょうか?

五代目瀬川について、wiki経歴プロフィールをまとめました。

目次
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ヒロイン小芝風花が演じる花魁は花の井(五代目瀬川)

大河ドラマ「べらぼう」で、伝説の女郎(遊女)と名を馳せた「花の井(五代目瀬川)」を演じるのは、小芝風花さん。

吉原の老舗女郎屋「松葉屋」の女郎で、同じく吉原の中で育った蔦屋重三郎(演・横浜流星)とは幼馴染という役どころです。

幼い頃、親に売られた花の井は、共に吉原で育った蔦重とはなんでも話せる良き相談相手。

小芝風花さんは、花の井(五代目瀬川)を演じるにあたって、

凛と美しくもあり、時には蔦重の背中を押すような男前さも持ち合わせた花の井を、精一杯演じたい

べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~公式Xより

と、語っています。

花魁道中のシーンの小芝風花さん。花の井、本当に凛としていて、その美しさにうっとりしてしまいますね!

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実在した「五代目瀬川」はどんな人?wiki経歴プロフィール

生い立ち

五代目瀬川は実在した人物で、妓楼「松葉屋」の遊女でした。

名前:五代目瀬川
本名:不明
生年月日:不明(18世紀後半、寛延3年/1750年以降頃?)
没年月日:不明
職業:遊女

五代目瀬川については確実な記録が残っていないため、生い立ちなどの詳細はわかっていませんが、だいたい江戸時代後期の18世紀後半に生まれたと考えられています。

大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎の幼馴染として描かれているので、蔦重と同じ時期に生まれたとするならば、だいたい1750年頃(寛延3年)??の可能性もあると考えられます。

花の井」と言う名前もドラマ内で使用された架空の名前であると考えられます。また、幼いころに親に捨てられ松葉屋に引き取られたという記述も見かけますが、こちらも詳細についてはわかっていません。

しかし、たいていの遊女はだいたい親に捨てられたか売られたかしているので、五代目瀬川もおそらく遊郭に売られたと考えるのが自然です。

瀬川という名前

瀬川や高尾、吉野・・・など、遊郭において人気のある名前はブランドのように用いられることがあり、その名を継ぐ遊女が代を重ねることがありました。

吉原の妓楼「松葉屋」では、看板遊女が代々受け継いだ名前が「瀬川」でした。

「瀬川」と名のついた遊女は初代から六代が著名で、九代までの9人存在しています。

「べらぼう」で登場する花の井は、五代目の瀬川がモデルとなっていて、安永4年(1775年)秋に名代を継ぎました。

身請け

「瀬川」の名を継いだ安永4年(1775年)の年末、五代目瀬川は高利貸しグループの首領の鳥山検校(とりやまけんぎょう)によって身請けされました。

検校(けんぎょう)とは
盲人が所属していた組織「当道座」の最高位の階級名。

当道座(とうどうざ)とは
音楽や鍼灸(はりきゅう)、按摩(あんま)などを生業とし、盲人たちが自立して生きるための組織。江戸時代では、高利の貸金業も重要な収入源となっていた。

その盲目の高利貸しである鳥山検校による瀬川の身請けは、1400両(約1億4千万円)という高額な身請け金だったこともあり大きな話題となりました。

しかし鳥山検校は、安永7年(1778年)に悪事が露見して幕府によって処罰され、全財産を没収後に江戸からも追放されました。

鳥山検校が処罰されたため、瀬川の生活も激変。その後瀬川がどのような経緯を辿ったかについては諸説あります。

御家人の妻となった説

瀬川は青木健蔵という御家人と夫婦になり、その後、老年を根岸で過ごして死亡したと伝えられています。

武家の夫と死別後、大工の妻となった説

深川の飯沼という武家の妻となり子どもを二人産み、その夫が亡くなった後は、大工の八五郎の妻として二人の子どもを育てながら生活したとも伝えられています。最終的に、瀬川は髪結いとなり、八五郎に代筆を頼まれるなどして生活を支えました。

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瀬川と蔦屋重三郎は本当に幼馴染?

「べらぼう」のドラマの中では、五代目瀬川と蔦屋重三郎は幼馴染という設定で描かれています。

しかし、2人が実際に幼馴染であったかどうかは、伝承や口伝に基づいた情報でなんともいえません。

しかし、瀬川が「五代目瀬川」の名を受け継いだ安永4年(1775年)、蔦屋重三郎は吉原細見「籬の花」を出版していることから、2人が同じ時代・同じ場所で生きていたのは事実です。

1770年生まれの蔦屋重三郎は、1775年は25歳。

通常、年季前に身請けされる遊女の年齢が20〜25歳くらいだとすると、1775年に身請けされた瀬川は蔦屋重三郎とも同年代であるのは間違いないことから、お互いによく知っている間柄であったかもしれませんね。

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まとめ【べらぼう】花の井(五代目瀬川)のwiki経歴プロフ!蔦重とは幼馴染?

大河ドラマ「べらぼう」の花の井のモデルとなった実在の「五代目瀬川」についてまとめました。

五代目瀬川については、詳細などわかっていないことが多く、ドラマの中ではフィクションも多く描かれていると思われます。

フィクションと実際にはどうだったのかを見比べながら、ドラマを鑑賞するとより深く楽しめそうですね!

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