朝ドラ『ばけばけ』に登場する外国人女性イライザ・ベルズランド。
演じるのは、「マッサン」「べっぴんさん」でおなじみのシャーロット・ケイト・フォックスです。再び朝ドラに戻ってくるということで、大きな注目を集めていますね。
そんなイライザのモデルは、19世紀のアメリカに実在した女性記者 エリザベス・ビスランド(Elizabeth Bisland)。
エリザベス・ビスランドは同時代のジャーナリスト、ネリー・ブライとともに「世界一周レース」に挑んだ女性として知られています。
しかしその生涯には、競争だけでなく、知性と気品に満ちた“静かな闘志”がありました。
この記事では、
- シャーロット・ケイト・フォックスが演じるイライザの人物像
- エリザベス・ビスランドの生涯(wiki経歴プロフィール)
- 小泉八雲との関係
などを掘り下げて紹介します。
朝ドラ「ばけばけ」に登場するイライザとは?
「ばけばけ」に登場するイライザ・ベルズランドは、レフカダ・ヘブン(演・トミー・バストウ)のアメリカ時代の同僚であり、新聞社で働く女性記者。
演じるのは、朝ドラ『マッサン』でヒロイン・エリーを演じたシャーロット・ケイト・フォックスで、『べっぴんさん』以来、約5年ぶりの朝ドラ出演となります。
イライザは、聡明で行動的な“パーフェクトウーマン”として描かれ、ヘブンに日本行きを勧める重要な役どころ。
物語の前半に登場し、短いながらもドラマの方向性を決定づける存在となるようです。
その知的で自立した女性像には、実在した19世紀の女性記者——エリザベス・ビスランド(Elizabeth Bisland)がモデルとなっています。
【イライザのモデル】実在の人物エリザベス・ビスランドwiki経歴
朝ドラ『ばけばけ』のイライザ・ベルズランドのモデルとなったのは、19世紀のアメリカで活躍した女性記者、エリザベス・ビスランド(Elizabeth Bisland)です。
エリザベスは南部の名家に生まれながら、家族の没落を経験し、自立するために若くして文筆の道に進みました。
その後、新聞や雑誌で編集者として活躍し、同時代の有名記者ネリー・ブライと「世界一周競争」に挑むなど、冒険心と知性を兼ね備えた女性として知られています。
イライザが持つ聡明さと行動力は、このエリザベス・ビスランドの人物像を反映しており、ドラマのキャラクター作りにも大きな影響を与えています。
生い立ち:南部の名家に生まれ、ペン一本で生きた女性

エリザベス・ビスランド(ビズランド)・ウェットモア(Elizabeth Bisland Wetmore)
1861年2月11日〜1929年1月6日(67歳没)
アメリカ合衆国ルイジアナ州セントメアリー郡出身
作家/新聞記者
エリザベス・ビスランドは1861年2月11日、アメリカ南部ルイジアナ州セントメアリー郡のフェアファックス農園に生まれました。
エリザベスの家は由緒ある名家でしたが、南北戦争の影響で一家は疎開を余儀なくされます。戦後、故郷へ戻った家族を待っていたのは、荒廃した土地と困難な暮らしでした。
やがて、父の実家があるルイジアナ州ナチェズに移り住んだエリザベスは、少女の頃から文学への情熱を強く抱きます。
ティーンエイジャーになると、地元紙「ニューオーリンズ・タイムズ・デモクラット(のちのThe Times-Picayune)」に詩を投稿し、ペンネーム「B. L. R. Dane」で文筆活動を開始しました。
才能が編集者の目に留まり、原稿料を受け取るようになると、やがて彼女は正式に新聞社の一員として働き始めます。
貧困と戦争の影響が残る南部の社会の中で、女性として自立しようとする彼女の姿勢は、当時としては極めて先進的でした。
ちなみに、この新聞社ニューオーリンズ・タイムズ・デモクラットには、のちに日本で活躍するラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も在籍しており、ふたりは親しい間柄だったと伝えられています。
キャリア:編集者としてニューヨークで輝くまで
1887年頃、エリザベスはニューヨークへ移住します。
ニューヨークは当時、アメリカで最も活気ある出版都市であり、多くの野心的な記者たちが集まる場所でした。
エリザベスはまず『ザ・サン』紙で記者として働き始め、その後『ニューヨーク・ワールド』など複数の新聞社や雑誌で経験を積みます。

同時期には、『アトランティック』誌や『ノースアメリカン・レビュー』などの文学誌にも寄稿し、文学性と報道性の両方を兼ね備えた女性記者として名を知られるようになります。
南部で育った少女が、男性中心の出版業界で頭角を現すまでの道のりは、まさに知性と行動力で時代を切り開いた女性の象徴ですね。
「ばけばけ」で描かれるキャラクター“イライザ”は、聡明で世界を飛び回る行動力を兼ね備えた「パーフェクトウーマン」。その像はモデルのエリザベス・ビスランドと深く通じています。
世界一周でネリー・ブライと競った女性記者
エリザベス・ビスランドの名を世界に知らしめたのは、1889年に行われた“女性記者による世界一周競争”でした。

同じ時期に旅立ったもう一人の女性は、ニューヨーク・ワールド紙の記者ネリー・ブライ(Nellie Bly)。ネリーとエリザベスとの競争は、当時のメディアを熱狂させ、全米を巻き込む一大イベントとなりました。

この「Around the World Race」は、当時の社会における女性の行動範囲を大きく広げた、歴史的な出来事でもあります。
ここでは、ふたりの競争と、その後に残されたビスランドの功績を振り返ります。
女性記者ネリー・ブライとの「記録競争」
1889年11月14日、ネリー・ブライはニューヨークを出発し、東回りで世界一周に挑みました。
これはフランスのジュール・ヴェルヌの冒険小説『八十日間世界一周』に着想を得ており、その記録に挑戦するという企画を「ニューヨーク・ワールド紙」が立ち上げたのです。

つまり、ふたりは互いに反対方向から世界を一周し、どちらが先にニューヨークへ戻るかを競ったのです。
二人の冒険は、ネリー・ブライが軽装でスピード重視の旅を続けたのに対し、エリザベスは落ち着いた知的な観察者として、各地から文化的なレポートを発信しました。
その姿勢には、彼女の文学的素養と、世界を“物語として記録する”記者魂が表れていました。
敗れても“もう一人の冒険家”として称賛されたエリザベス
結果的に、ネリー・ブライが72日6時間11分で世界一周を達成し、エリザベスはそれより4日遅い76日間でニューヨークに帰還しました。
エリザベスの旅は単なるスピードレースではなく、「知性と感性で世界を見つめる女性の旅」として記録され、
のちに『A Flying Trip Around the World』(1891年)として出版されました。
エリザベスの文章は、同時代の女性記者の中でも群を抜いて文学的であり、その観察眼や語彙の豊かさは、現在でも読み継がれる価値があるものです。
敗北を恐れず、自らの視点で世界を切り取ったエリザベスの生き方は、まさに“もう一人の冒険家”としての誇りに満ちていました。
エリザベス・ビスランドの晩年と最期
エリザベス・ビスランドは1891年に弁護士のチャールズ・ウィットマン・ウェットモアと結婚。しかし結婚後も旧姓のまま執筆活動を続けました。
エリザベスとチャールズ夫妻は翌年、ロングアイランドの北岸に「アップルガース(Applegarth)」という夏の別荘を建て、知的で穏やかな暮らしを送っていたといわれます。
1929年1月6日、エリザベスはバージニア州シャーロッツビル近郊で肺炎のためこの世を去りました。67歳でした。
その亡骸はニューヨークのブロンクス区・ウッドローン墓地に埋葬されました。奇しくも、かつて世界一周競争を繰り広げたライバル、ネリー・ブライも同じ墓地に眠っています。

エリザベスと小泉八雲の関係は?
ドラマ「ばけばけ」に登場するイライザのモデルとされるエリザベス・ビスランドは、実際に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と深いつながりを持っていた女性記者です。
ふたりの出会いは、ハーンがアメリカで新聞記者として活動していた時代にさかのぼります。
八雲が憧れた美貌の同僚エリザベス・ビスランド
エリザベス・ビスランドは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がニューオーリンズで新聞記者として働いていた時代の同僚でした。
エリザベスは、ハーンの短編小説に感銘を受けて新聞社「ニューオーリンズ・タイムズ・デモクラット」に入社。
知性と美貌を兼ね備えた、当時としては稀有な女性ジャーナリストだったエリザベスに、ハーンは強く惹かれ、深い敬意と愛情を抱いていたと伝えられます。
エリザベスが旅の途中で立ち寄った日本について、「清潔で美しく、文明社会に汚染されていない夢のような国」と語り、ハーンの心に強い印象を残しました。

この言葉が、のちに彼の日本行きのきっかけになったとも言われています。
八雲の生涯を本にまとめたエリザベス・ビスランド
ハーンの死後、エリザベス・ビスランドは1906年に『The Life and Letters of Lafcadio Hearn(ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡)』を出版しました。
作家・工藤美代子氏によれば、エリザベスはこの書簡集の中で、ハーンの恋愛感情を示唆する表現を意図的に削除しているように見えるということから、エリザベスにとってハーンは、尊敬と友情の対象であり続けたのでしょう。
その後もエリザベスは『Seekers in Sicily』(1908)、遺作『Three Wise Men of the East』(1930)などを著し、旅と精神の探求をテーマにした作品を残しました。
ハーンが日本へ惹かれていった背後には、そんな“もう一人の語り手”エリザベスの存在があったのです。
まとめ【ばけばけ】イライザ・ベルズランドのモデルは?エリザベス・ビスランドwiki経歴
朝ドラ「ばけばけ」で、イライザ・ベルズランドのモデルとなったエリザベス・ビスランドは、19世紀のアメリカで知性と行動力を兼ね備えた女性記者として活躍。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の人生にも深く関わりました。
ハーンに日本への憧れを抱かせたのも、また彼の生涯を記録として残したのもエリザベスでした。
「ばけばけ」におけるイライザというキャラクターは、まさにその実在の女性が持っていた知性と独立心、そして異文化へのまなざしを映し出していると言えるでしょう。


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